指導の内容は「学習させること」だった。受験生なのにもかかわらず、勉強に集中しないでラウンジにいた数名の生徒だった。しかし、指導している間に人としての生き方に関わる内容に変わっていった。
私の指導は厳しいので、人として大切なことは徹底する。それは生徒の将来のため。その生徒の状況を他の人が見たらどう思うか。友達ならまだ許せるかもしれないが、社会に出たら幸せにはなれない。そう思うと、伝えずにはいられなくなる。それを徹底して指導する大人は激減している。だからこそ、Plusの塾生だけは、教え子だけは伝えなければならない。
生徒は家庭環境も含めてよく知っている。お母様の人間性の素晴らしさまで知っている。しかし、その中の1人は入塾してまだ浅い。人間関係も浅く、不安もあった。しかし、だからといって手を抜いては、その生徒に愛情がないということになる。それこそ差別であり、いじめでもある。
厳しい指導をすることは、生徒にとっては嫌なことでもある。それは指導する側の心が揺れている場合である。つまり「怒っている」のだ。大人が子供を指導する際に心が揺れていては指導する資格はない。指導とは、「怒る」のではなく「しかる」ことのだ。だから、指導の後は元の笑顔になれる。それが教師だと確信している。
でも、傷ついていないかをずっと心配している。1日経っても気になる。生徒は正しいことはわかっているが、その正しいことが恥ずかしいだけで行動ができないことがある。そんな中学生の気持ちもわかる。しかし、社会に出たら違う。正しいことが正しい。それを中学生からわかっていれば、必ず幸せになれる。成功する。
その生徒が今日から頑張ってくれることを信じている。共有した時間は少ないが、私の教え子として愛情を持って厳しく指導したのだから。
0 件のコメント:
コメントを投稿